ついでなので書いておくと、これもまた国立の研究所ですが、大学入試センター というのがあります。ここのある研究者から7月くらいに入試の方法やポリシー についてのアンケートというのが大学宛に来ました。各学科毎に入試方法やポ リシーが異なるので、当然我学科にも「記入して下さい」という連絡が大学事務 からありました。結構細かくて、まともに(私が)やれば小一時間くらいかか るものでした。うんざりしながら、この立派な紙に印刷された質問用紙を眺め ていると、「このアンケートの回答は公開された文書、ホームページなどに記 載されていることに基づいて書くように」とあるではないですか!あのぉ、こ れって自分で入試資料集めればいいことなんじゃないの。調査用紙を印刷した り、発送したりする暇や金があるなら、自分でやりなよ。赤の他人の労力をた だで使って、自分たちはその間何してんだろうね。甘ったれちゃいけないよ。
この辞典の特徴はカバーする範囲の広さにあるといえるかも知れません。今ざっ と見たんですが、理論、世界内存在などから、リンク、履歴、隠し味まであり ます。短いけど、ちゃんと(つまり認知科学的に)解説されています。
ところでこの短さは執筆の悩みの種でした。200-400字程度で正確に、かつわ かりやすく説明するのは大変に難しく、私も数十項目ほど書きましたが、まる で大学院の入試の答案を書いているような気持ちでした。
値段ですが、非常に高い、35000円もします。まあ関連辞典、事典(脳科学事 典、ニューロ・ファジィ・AIハンドブック)などをみるとこのくらいの値段に なっているのでしょうがないのでしょうか。CD-ROMにもなるそうです。これは いくらなんでも35000円ということはないでしょうから、一般にはこちらを買 うことになるのでしょうか。
なんか否定的なことばかり書いているようにとられると困るので、強調してお きましょう。便利な辞典です。認知科学だけでなく、人工知能、インタフェー ス、(認知)心理学、認知神経科学の研究者にも役に立つものだと思います。 自分では買わないにしても、図書館、図書室にはいれてもらいましょう。
こうした人間の擬人化傾向はかなり強力であり、どうも人間は自律的に運動す るようなもの、自律的な反応をするようなものに対しては、主体性を付与して しまうようです。これをもっともはっきりと示したのはリーブス・ナースによ る「メディア・イクエーション(Media Equation)」という本でしょう。これに は、人間が無意識のうちにメディアに対して擬人化を行なうことが、数多くの 実験から明らかにされています。大変に面白い本なので、ぜひ読んでみること を勧めます。
「個性」の話に戻ります。そのシンポジウムにおける重要な示唆は「「個性」 と「社会性」、「文脈」の関係です。もし他のロボットよりも若干遅れるロボッ トがいたとしても、もしそれが単独で存在していたらそれが遅れること、つま り「のろま」であることは、問題になりません。というか、そもそもそうした 個性は見えません。ここから分かることは、「個性」は、他者あるいは社会の 存在を前提としているということです。もっというと、他者との比較、所属集 団の平均との比較において個性が存在しているということです。
これはある意味では常識でしょう。他にもそうしたことを述べている人はたく さんいると思います(代表選手としては、私のあこがれの岸田秀。またたぶん、 臨床心理学の多くの理論もこうしたことを前提としていると思います)。一方、 人は性格テストに夢中になったり、研究者は性格特性を捉えようと意味のない テストを作ったり、あるいは「自分探し」、「本当の自分」などという言葉が 無反省に用いられたりしています。こうした人たちは、何か個性あるいは自己 と呼べるようなものが、社会や状況と無関係に「私の中」に存在していること を前提としているように思われます。
どういう文脈で使われているのかよく分からないけど、「自分探し」って言葉 は気持ち悪いよね。こうした言葉が広まると、なんか確固とした「自分」とい うのが存在するような錯覚にとらわれる。ふだんそんなことは考えたこともな いから、無理矢理考えると結局それは自分の理想、空想にしかならなくなる。 理想は定義上、現実ではないので、現実に不満を抱き、「こんなの自分じゃな い」などと考えはじめる。実は本当の自分というのは、今ここにいる自分のこ とで、それ以外は空想に過ぎないのに、その空想を実現しようという気になる。 無論、空想は実現不可能だから、どうやっても到達しない。また万が一、到達 した場合はそれは定義上理想ではなくなるので、また別の空想を作り出す。こ ういう悪循環が心の病を生み出すんじゃないかな。
また話が脱線しました。さてもう一度「個性」に戻ります。そのシンポジウム を聞いていて、疑問に思ったのは「モータの回転がちょっと遅い」、「センサ がちょっと敏感」というのは個性かなっていうことです。近視は個性でしょう か、人より足が速いのは個性でしょうか?どうもそういう使い方はしないので はないかと思います(こうした場合は「個体差」などというのではないでしょ うか)。
そこで提案。個性というのは、
人は集団生活の中で、他者との違い(個体差)に気づく。その違いゆえに、あ る状況において利益を得たり、不利益を被ったりするようになる。そうした事 態に接して人は特定の感情を持ったり、あるいはそれにうまく対処するために 特定の行動を行なうようになる、これが個性なんじゃないか、と思うわけです。 たとえば、足が遅いので運動会の時になると、ドキドキして、弱々しくなる。 もう少し屈折したものとしては、仕事が遅いので、みなと同じに始めると遅れ が出てしまうので、人の話もそっちのけで仕事を始めてしまう、「そそっかし い人」。さらに屈折したのとしては、議論をするとついていけないので、会議 に最後のまとめ(論争を避け、議論をうやむやにする)の発言などだけを行な う「思慮深い人」、「バランスのとれた人」。
こうした二次的な心の働きが個性を生み出すと思います。よって、単なる個体 差だけでは個性とはいえず、その認識、その積極的利用、修正、ごまかし などが入ってくると、ロボットも人間のように豊かな個性を持つのではないで しょうか。
結論は受け入れ難いのですが、これはなかなかうまい類推です。さすが
これへの反論はいかにして可能でしょうか。思いつくまま以下に可能性を挙げ てみます。
もう一つの方は、私が第一著者ではないのですが、やはり納得できない査読結 果であったので、第一著者の人が編集委員会に手紙を書きました。その結果不 採録が取り消され、つい最近になって条件つき採録になりました。
ここにまず(名前は出さない方がいいと思うので出しませんが)その国際学会 のプログラム委員会、その学会誌の編集委員会の柔軟で、誠意ある姿勢に深く 感謝したいと思います。また、抗議の手紙の中身をお見せできないのが残念で すが、非常によく書けていて、関連の方からは褒められました。
ここで皆さんに伝えたいことは、不採録だからといって「めげるな!」、「あ きらめるな!」ということです(むろん、別雑誌に投稿というのがふつうかも しれませんが)。筋を通して、冷静に、論理的に査読内容を批 判すれば、うまくいくこともあるということです。国際学会などの発表論文で はあまり再査読をやってくれないことが知られていますが、筋を通せば再審査 もあるということです。 また日本の学術誌の場合、編集委員会は査読結果を基本的に尊重しますので、 査読がかなりまずくても(厳し過ぎるのがふつです)それで決定というケース が多いと思います。こういう場合でも筋を通せばうまくいくことはあると思い ます。
長年、査読をしたり(年によっては数十本などという時もありました)、された り、の中で得た、自分なりの査読の心得をここに書き留めておきます。これに 納得したら、自分が査読をやる時に思い出して下さい。