2000年のいろいろ 目次

  1. ダイナミカル宣言I:とにかく宣言(2000/12/25)
  2. 科学教育を考える(2000/10/10)
  3. 瞬間情報処理の心理学:人が二秒でできること(2000/09/05)
  4. テクニカルコミュニケーションシンポジウム(2000/08/31)
  5. 就職活動(2000/05/16)
  6. NTT Cmccシンポジウム(2000/03/13)

ダイナミカル宣言I:とにかく宣言(2000/12/25)

最近、ふっ切れました。ということで、ダイナミカル宣言を行いたいと 思います。類推をメインにここ10年ほど仕事をしてきて、自分の仕事に 確信を持てるようになったのはいいことなのですが、かなりうんざり してきた部分があります。これは飽きたというのではなく、限界を感じて きた、という意味です。

いろいろと七転八倒して、最近はっきりとわかってきたことがあります。それは

人間の認識はダイナミックである
ということに尽きます。

もう少し具体的に言うと、人間の認識は、

ダイナミックな相互作用として捉えられねばならない、というものです。

当たり前だろう、と言わないでください。もう少し詳しく述べたいのですが、 まだよく考えがまとまっていないので、近いうちにこの続きを書きます。 とにかく、宣言をしたいのだ、ということで今のところは終わります。

科学教育を考える(2000/10/10)

岩波書店から出ている「科学」という月刊誌で「なぜ科学を学ぶのか」という 緊急特集が組まれました(科学10月号)。これは、2002年度に実施される新指 導要領、およびそれに対する反論を検討するという特集です。 新指導要領は、数学、科学教育を壊滅させる、という批判が多くの科学者から なされています(たとえば、ここ を見てください)。たとえば、三桁の掛け算が小学校から消えてなくなり、 円周率は「およそ3」にされる、遺伝の授業がなくなる等々。また、とある教 科書会社の人から聞いたのですが、高校の物理は力学からではなく、「波」か らになるそうです(なんでも、文部省のアンケートでは「力学」は評判が悪い ので、「親しみやすい!!」波から始めるそうです…………)。

私は、ここに掲載された論文で、発達心理学や 思考心理学の成果、というか常識をまず披露しました。たとえば、

というものです。

論文の最後で、私は双方への批判を行いました。批判の論点は、学習項目を減 らしても、また維持しても、教科書がひどすぎて(理解を構成するという視点 がまったくない)、まともにここから学べる人はいない、というものです。学 問の論理をそのまま学校に押し付けても、学習成果は期待できないし、抽象的 に「ゆとり」をつくっても(つまり時間減らすだけ)、だから何が起こると言 うわけでもなかろうという大変に当たり前のことです。

結構上手に書けたので、結論の一部を下に引用します。

さてこうした観点から現在の教育を見ると暗澹たる思いに駆られる。私は最近 高校の物理の教科書をかなり丹念に見る機会があったが、これらは検定に通る ことを主目的として書かれているのであり、およそ学習者による理解の主体的 構成を目指したものではないことを確信するに至った。たとえば、「運動と力」 の章では、公式、法則の類いが60ページくらいの中に約30個も出てくる。大方 はある基本的な式から導き出せるものであるにもかかわらず省けないのは、検 定において不利になるからだという\footnote{検定では、取り上げる公式、総 ペー ジ数、単元の順序はおろか、カラー写真の枚数などまで細かく決まっているら しい}。

また、取り上げられている実験の多くは法則の確認、用いられる例題は公式と の対応が一目でわかる、きわめて単純なものだけである。多くの生徒は次から 次と出てくる公式を覚え、それを単に当てはめて例題を解くだけに終始するこ とは想像に難くない。ここには同化も、調節も、説明も全くない。科学離れは 当然の帰結だろう。

一方、小学生の教科書を見るとあまりの“ゆとり”に唖然とさせられる。た とえば生活科の教科書、これはチラシを綴じたようなものである。わずかばか りの文字が散在するページには、笑顔の子どもを写し出すカラー写真が次から 次へと、目がくらむような極彩色のインクを用いた背景の上で踊る。そして授 業では何かを“教え”たりしてはならず、何でも“自分で”観察してみよう、 調べてみよう、作ってみようということが強調されるらしい。

ここには科学的な認識に対する基本的な誤解がある。規則性や矛盾の発見、 説明仮説の生成、検証などの同化・調節活動の複雑な連鎖の上に科学は成り立っ ている。また、科学的な探求には独自のノウハウがあり、やみくもな観察や調 査が意味のある研究に結びつくことはまずない。矛盾点への着眼のしかた、問 いの立て方、確かめ方、議論のしかた、いずれをとっても自然に身に付くもの ではないことは、文系、理系を問わず、少しでも研究活動を行ったことのある 人間にとっては自明のはずである。

2002年度から実施される新教育課程についての論争は、いずれの立場の人にも 「理解の科学を成果を採り入れなさい」と申し述べたい。お上に文 句をつけられないように、正しいことを列挙するだけの教育が行われるならば、 単元が増えようと減ろうとさしたる変化はないだろう。様々な単元の削除、お よび上級学年への持ち越しが、空疎な「ゆとり」や「生きる力」(なんと情 緒的な)だけに向けられるのであれば、それは全く意味を持たない。また、こ れに反対の立場についても、それが現状を維持しよう、あるいは拡大し ようというだけならば同様に意味を持たない。現在の科学離れは、今の教育が もたらしたことを忘れてはならない。

あと、他の論文もおもしろいのがたくさんありました。ぜひ読むことをお勧め します。ちなみに、11月号でも、この特集が連続して組まれました。詳しくは、 科学のホームページを見 てください。

瞬間情報処理の心理学:人が二秒でできること(2000/09/05)

このページにもある海保先生の編集で「瞬間情報処理の心理学:人が二秒でで きること」が福村出版より出版されました。この中で、「考えるコツ」という 章を担当しています。ちょっと本のタイトルがあざといのですが(すみません、 海保先生)、中身は私のも含めてよいものが多いと思います。ちなみに、立花 隆さんが週刊文春のページでこの本を誉めていました(特に、1、2章)。 お読みになることを勧めます。

自分の担当に関して言えば、今まで研究してきた類推、思考一般、概念変化、 課題分割などを手際よくまとめたような気がします。執筆のための時間がほと んどとれず、はじめから肩の力を抜いて書いたせいか、読みやすいものになっ ています。

びっくりしたのは、原稿締め切りから(提出ではない)半年で本になってしまっ たということです。海保先生の腕力(出さないと短い周期でメールに よる督促が来ます)と機敏性に脱帽。

テクニカルコミュニケーションシンポジウム(2000/08/31)

テクニカルコミュニケータ協会という、マニュアルライティングを仕事と している人、マニュアル関係の研究をやっている人が作っている学会の ようなものがあります。ここで年に一度テクニカルコミュニケーションシンポジウムというものが開催されるのですが、これのシンポジストとして出席しました。

私の話はいつもの話でしたが、 「コミュニケーションの心理学」(ナカニシヤ出版) という、良くできた本を最近上梓された北九州大学の松尾さんも出席されて、 会場、およびその後の酒席でいろいろと話をすることができ、大変に有意義でした。 私が思いつかなかった、誤解の例などがいくつも紹介されていました。

ちなみに、この本は大変に良くできていて、認知的な観点から、人対人、人→ 機械→人、人→機械の関係をコミュニケーションを軸に書かれた、かなりの力作です。 私もこういう本を書こうと思っていたのだけれど、根気がなく、また知識、 努力の両方が欠ているので、誰か書いてくれないかなと思っていました (やられた!という気も少しある)。

ところで、その会場は300人ほど入る広い所だったのですが、ほぼ満席に 近い状態で驚きました(一昨年、私が個人で発表したときには100人以上入る 会場に、ほんの10人ほどしかいませんでした)。企画者が筑波大学の海保先生という ビッグネームだったことが影響したのでしょう(彼はこの会の会長もつと めています)。

就職活動(2000/05/16)

私の授業をとりたいという学生から「内定をもらった会社の研修で5月から7月まで アメリカに行くことになったが、受講届けを出していいか」という質問を受けました。

これって何なんでしょう。その企業は何を考えているのでしょうか?その 学生に怒りは覚えませんが、その会社にはかなり頭にきています。これは 内定をえさにした不当労働の一種ではないかと思います。採用した後に 行うべきことを、在学期間中、それも講義期間中に行うわけですよね。 企業としての倫理を疑いますね。

これからそんな不心得な会社が増えていく気がします。 大学がこうしたことに抗議をしないとまずいんじゃないかなぁ。

NTT Cmccシンポジウム(2000/03/13)

こんど、NTTのCmccというところが企画するシンポジウムで話してきます。 詳細は、このシンポのWWWページを見てください。かなりおもしろい企画だと思います。

特に、 八谷さんというメディアアーティストの発表はきっとおもしろいものになると 思います。彼は、有名なPost petの作者であります。メールでいろいろと 議論したのですが、アーティストっていうのは「すごい」。私たちが不動の現実 と思っていることを揺るがし、存在の不思議さに思いを巡らせるきっかけを与えて くれるのですね。参りました。ただ、存在の不安定さ、リアリティの相対性という のは、私も以前から感じていたことで、下に書いた人工知能学会でも強調してきた ことです。

楽しみだなぁ。

ということで、出席してきました。ポストペットはいろいろと進化していて、 自分のペットを学芸会のようなものに出させたり、合コンにいかせたり、K1グランプリ のような場所に参加させることが できる場所があるそうです。ちょっとやってみたくなりました。

八谷さんという人は、大変に観察眼が鋭く、現象の背後にある暗黙のフレーム ワークを敏感に察知し、それをまったく別の表象形式で教えてくれる。うーー ん、芸術家はすごい、これに尽きます。彼の作品のページはここです。ぜひ、ご覧に なることを勧めます。

Cmccの母体となるNTTコミュニケー ション科学基礎研究所の所長の東倉さんという人が 昔(たぶん)ATR Journalでアートと工学の関わりの重要性について述べてお られましたが、その意味を遅ればせながら実感しました。