インタフェースにおけるアナロジーとコミュニケーション

認知科学の立場から

Analogy and Communication in Human Interface

 

鈴木 宏昭

Hiroaki Suzuki

 

青山学院大学

Aoyama Gakuin University

about this paper

 

This paper explores how we design interactive agents to enhance human-computer interaction. Recently researchers in the field of human interface try to employ interactive agents to facilitate human-computer interaction. These interfaces assume users' analogy between humans and the agents. However, this analogy is not always carried out successfully, because abundant similarities at the surface level obscure the essential information for the analogy. What is important in analogy is to make essential information explicit. The author proposes three essential conditions for fruitful interaction between humans and agents: communicativity, flexibility (redundancy), and self-openess.

 

 

インタフェースは機械、装置、ソフトウェアの内部の挙動をユーザに知らせるとともに、ユーザがそれらに対して働きかける際の窓口となっている。ユーザにしてみれば、実際に接するのはインタフェースであって、機械そのものではない。この意味で、インタフェースのデザインは、機械とのコミュニケーションやその使い勝手に大きな影響を与える。

既存のインタフェースには様々な問題があることが指摘され、改善のための提言、実際的な努力も積極的になされている。これには2つのアプローチがある。一つは、道具の「道具らしさ」を復権させるというものであり、もう一つはインタフェースを擬人化、エージェント化するというものである。最初のアプローチについては別の場所で検討を行ったので(鈴木, 1998b)、本論文では擬人化エージェントを用いたアプローチにおける問題を取り上げる。

 

リアリティ指向のインタフェース論

近年の情報機器はその多機能性、編集性から対話をベースにしたインタフェースを用いざるを得ない。対話が典型的になされるのは人と人(あるいは生き物)との間においてであるから、インタフェースにもそれらを登場させようというアプローチが出てくる。現在、高度なコンピュータ技術とともに、外見、音声、動作などのいくつかの側面において人(生き物)のように感じられるエージェントの開発が進められている。こうしたアプローチは、対話の重要性、必然性を捉えているという意味において、情報機器の新しいインタフェースを生み出す可能性がある。

しかしながら、これらのアプローチを採用するいくつかの試みには開発者の期待を裏切るような結果が出ている。片桐・竹内(1997)は、先端的なグラフィックス技術と精緻な顔のモデルを用いた人工顔が「死人」のように見えてしまう例と、ごく簡単な対話技術しか用いていないELIZAに人が熱中する例を対比している。またゲームの世界も同様である。近年のゲームはいかにもリアルな画像を多数用いて製作され、その中のいくつかは爆発的な人気を得ている。だが一方で、@が他の様々な文字と戦うrogueなどにも人々は深く引き込まれてきたのである。

このように一見アンリアルなものにリアリティや共感を覚えることは日常茶飯事であり、情報機器だけに関係するわけではない。フィクションである小説を読み、涙したり、爆笑したり、解放感を味わったりする。さらに、神話、一部の宗教、迷信などに見られるトーテミズムやシンボリズムも、同様の例として挙げられよう。

以上の例は、いわゆるリアルなものに近づくことが、必ずしもリアリティを保証するのではないことを示している。

 

類推的リアリティ

擬人化は人でないものを人の如く見なす行為であるから、明らかに類推の一種である。類推研究はここ15年ほどで飛躍的な発展を遂げてきた(鈴木, 1997)。こうした知見から上記の現象について合理的な説明を与えることが出来る。

類推はベースドメインの本質的な部分をターゲットドメインへ写像することである。前節で挙げた擬人化におけるベースドメインは「人」であり、ターゲットドメインは装置、機械のエージェントである。類推が可能である限り、各ドメインはいくつかの本質的なレベルでの類似点がある一方、相違点も多く含んでいる。こうした場合、やみくもに写像を行っても成功することはまずない。

類推をうまく行うには本質的な類似点を検知しやすくすればよい。さて、人間はいかなる条件下でこれらの情報を検知することが出来るのだろうか。Goldstoneらは巧妙な実験を通して、この問題を研究した (Goldstone, et al. 1991)。彼らの主張のポイントは、人は表層的一致が多い場合には表層レベルの類似(あるいは非類似)を感じ取りやすく、本質レベルの一致が多いときには表層上の違いを割り引いて、本質的な特徴へと注意を向けるというものである。

つまり、擬人化エージェントが人間との表層的な類似性を高めれば高めるほど、本質的情報の検知は妨げられるということである。擬人化エージェントが目的とすることは機械との円滑なコミュニケーションであって、単に人間のそっくりさんを作り出すことではないはずである。だとすれば、表層的一致は出来るだけ少なくし、本質的な部分を浮き彫りにするような設計が必要となるであろう。

前述したように、人間の類推的想像力はきわめて強力であり、動、植物はもちろん、文房具、車などの無生物にまで擬人化を行う場合もある。またReeves & Nass (1996)らが示すように、メディアに対する我々の擬人化は無意識的、自動的になされる。インタフェースにおいて表現されない細部は、人間の勝手な想像に任せてしまえばいいのであって、何から何まで設計者が作り出す必要は全くない(というか、それは実際問題として不可能であろう)。

 

コミュニケーションにおける本質

次に問題となるのは、機械−人間間のコミュニケーションにおける本質とは何かという問題である。

筆者は、人と人とのコミュニケーションにおける分析から導き出された、インタフェースの3つの条件を挙げている(鈴木, 1998a, 1998b)。

対話性 この条件は、コミュニケーションそのもののための条件である。この条件を道具が満たすには、道具側にユーザが行為の目的を伝える手段があること、伝えられたことが了解されたのか否かを伝えること、自分の現在の状態を伝えられることが必要である。一方、ユーザ側には、「道具は何かを伝えようとしている」という信念、対話が成り立たないことがあるという信念、道具は状態を持つという信念が必要である。

可塑性 人間の場合、コミュニケーションがうまくいかない時には、別の言い方をする、例を出すなどの様々な会話のモードがあり、聞き手の方でも相手の特性を推測し、様々な解釈を試みる。

よって、インタフェースにはコミュニケーション上の冗長性が保証されていることが重要である。一方、ユーザは自らが伝えようとしている目的−行為がどのような構造を持っているのかを考え直すことが重要である。これには課題分割という考え方が、少なくとも現在の道具に対しては大変に有効である(鈴木他, 1998)

開自性 これは、はじめて道具に触れる時(あるいは問題状況が発生した時)、その道具の製作者及び、彼の属する文化が、道具を含む状況をどのように概念化しているのかが、了解できるようになっていなければならないという条件を指している。また、ユーザはそれによって自らが行なってきた類似の行為がどのように構成されているのか、それを製作者の文脈の中で問い直さねばならない。

簡単にいえば道具側の要件としては構造、組織化がはっきりと見えることが必要になる。自らがどのような意図の下に、そしてどのような制約の下に、インタフェースを設計したのかをはっきりと提示する。また、ユーザは、その新しい構造に接することにより、自らを問い直す中で、自らの文化を相対化していくことが必要となる。

 

まとめ

以上の条件が意味することは、制作者が意図を顕わにする中で、把握しやすい一貫した人格をエージェントが持ち、それを様々な手段を用いてユーザに伝えるということである。これにより実りあるインタラクションが達成されると考えられる。

 

参考文献

Goldstone, R. L. and Medin, D. L. and Gentner, D. (1991) Relational similarity and the nonindependence of features in similarity judgments. Cognitive Psychology, 23, 222 ? 262.

片桐恭弘・竹内勇剛 (1997) ひとはコンピュータをいひととみなしているのか? 日本認知科学会 学習と対話研究分科会編「学習と対話」, 97-2, 1- 8.

Reeves, B. & Nass, C. (1996) The Media Equation. Cambridge, MA: Cambridge University Press.

鈴木宏昭 (1997) 類似と思考. 共立出版

鈴木宏昭 (1998a) Peerとしてのコンピュータが持つべき条件。テクニカルコミュニケーションシンポジウム’98 予稿集, 36 ? 40.

鈴木宏昭 (1998b) コミュニケーションを促進するインタフェースのための3条件。日本認知科学会 冬のシンポジウム発表予稿集, 1 ? 7.

鈴木宏昭・植田一博・堤江美子 (1998) 日常的な機器の操作の理解と学習における課題分割プラン。認知科学, 5, 14 ? 25.

1999年度人工知能学会第13回 大会発表予稿集 131-132(ベストプレゼンテーション賞受賞)