認知発達における類似の制約 鈴木宏昭(青山学院大学文学部) I はじめに 「領域と制約」において主張されていることは、1). 人間の発達は領域固 有であるが、その中でも中核領域と周辺領域が区別される、2). 発達や学習 を促すものは制約であり、そこでは生得的制約、既有知識の制約、社会的制 約、文化的制約が区別される、3). 中核領域においては領域に固有な生得的制 約が、周辺的領域においては社会、文化的な制約が主要な役割を果たす、と いうものである。 1) と2) については、著者1らを含めた発達認知科学の過去10 年に渡る膨 大な量の研究が明らかにしてきたことである。「領域と制約」においては、こ の認知発達研究の到達点を構成する主要な研究がきわめて適切に組織化され た上で提示されている。著者らの議論が説得的であること、そしてこれらを 覆すような組織だった反証は見当たらないことから、私は全面的にこの2 つ の主張を受け入れる。問題となるのは、3) である。この問題は、i). 中核領域 では生得的で、領域に固有な制約が主たる制約であるのか、ii). 周辺領域で は社会、文化的な制約が主たるものなのか、という2 つに区別できるが、こ こではi だけに絞ってコメントを行なう2。 人間は生活を行なう中で、中核領域であろうが、周辺領域であろうが様々 な種類の経験をし、それを何らかの形式で貯蔵する。そしてこの貯蔵された 経験を巧みに利用しながら、成長を続けるだけでなく、自らの生活する世界 を変えていく。こうした「経験n1→貯蔵→経験n+再利用」という基本的な 認知のサイクルにおいて、大きな意味を持つのが「類似(の判断)」である。 というのも、再利用は、貯蔵された経験と現在の状況との間に、何らかの類 似を見つけ出す能力に基づくと考えざるを得ないからである(鈴木, 1996)。 したがって、このコメントにおけるポイントは「類似(の判断)」という領域 に依存しない制約が認知の発達に果たす役割ということになる。 -------- * 児童心理学の進歩1997 年版, 波多野誼余夫・稲垣佳世子「領域と制約」 へのコメント論文 1 以降、著者とは波多野、稲垣両氏を指すために用いられる。このコメント の著者を表す場合には「私」が用いらる。 2 これはii に問題がないというわけでは決してなく、単に紙数の制限によ るものである。私個人としてはii についてより強い疑義を抱いている。 1 II 認知の基底メカニズムとしての類似 本節では発達から少し外れ、近年の認知科学の研究が人間の認知一般につ いてもたらした新たな知見をまず簡単に紹介する。 1 覚えてしまう人間 近年の記憶研究が示す重要な事実は、人間はとにかく覚えることが上手で ある、ということである。たとえば、記憶すべき項目とは全く無関係な情報 が記憶され、それが再生における有効な手がかりになることはかなり以前か ら知られていた。また、潜在記憶研究ではプライミングの効果は数カ月にも 及ぶことが示されている。さらに、覚えるべき事例の抽象化を全く行なわな ず、事例と手がかりの類似だけに基づく計算モデルによって、様々な記憶現 象がうまく説明できることも示されている(寺澤, 1995)。 また概念学習についての研究でも、近年、事例ベースモデルの復権を示唆 する証拠が数多く挙がってきている。事例ベースモデルとは、事例をただ貯 蔵するだけで、スキーマを作り出すことを全く行なわないモデルのことであ る。これらのモデルは、いわゆる抽象化を行なうモデルが説明できることは すべて説明できるだけでなく、学習状況の微細な変化や、学習にとって本質 的でない特徴のもたらす影響について合理的な説明を与えている(Medin & Ross, 1989)。 さらに問題解決、学習の領域においても、同様のことが示唆されている。 たとえば、学習例題とターゲット問題の表層的類似性は解法の検索だけで はなく、その後のルールの適用にも大きな影響を与えることが示されている (Medin & Ross, 1989)。また、チェスの初心者−熟達者比較研究が明らかに したのは、エキスパートは数万パターンもの局面を記憶しているということ である(大沢, 1982)。 これらの研究が一致して示すことは、人間は膨大な量の経験を記憶して いるということである3。むろん、こうした主張は以前からなされてきたし、 大抵の教科書の長期記憶の章の冒頭にはこうしたことが書かれている。しか し、上記の結果が示すことは、こうした常識的な意味の膨大さでなく、人間 は非合理と思えるほどにたくさんのことを記憶してしまっているということ である。 2 類似 これらのことから考えなければならないのは、人は何のためにそれほどま で記憶するのかということである。これには何らかの(おそらく進化論的な 意味での)合理的理由が存在するはずである。 ____________________________ 3 ここでいう記憶は、自由再生などの意識的なアクセスを必要とするものに限 られない。再認、プライミング、再学習などによって確認されるimplicit な記 憶を含んでいる 2 この疑問に対する合理的な答えは、「再利用」である。つまり、記憶され た経験はその後に何らかの類似した状況が現れた時に指針として用いられる のである。人間の生活する環境はきわめて多様であり、過去に経験したこと と完全に同一な状況と遭遇することはむしろ稀であろう。そして有効な過去 経験の本質的特徴(あればの話しだが)が顕著な問題状況に直面することも あるかも知れないが、そうでない場合も多い。また、世界は我々が抽象化を 行ないやすいように、状況を組織立てて提示してくれるわけでもない。さら に表層的特徴は本質とかなりの程度まで相関しているケースも多い。そうし た状況下で生活をする場合には、安易に抽象化を行なうことは却って危険で あり、過去経験をそのまま貯蔵して、そこに含まれる様々なレベルの特徴と 現在の状況の提供する特徴を照合した上で再利用を行なう方が妥当である。 再利用において重要なのは、類似である。つまり、人は現在の状況と過去 の経験との間の類似に基づいて認知活動を行なっているのである。類似はき わめて強力な認知的ツールである。それは問題状況の詳細な、論理的な分析 を行なわずとも、そこそこの合理的な行動、あるいは思考を導き出す。むろ ん、問題状況についての構造化された知識によって意味ある特徴とそうでな いものが区別された場合には、類似性はほとんどの場合論理的な分析と等価 な認知的所産を、より迅速にもたらすことができる。 本稿において重要な主張は、類似とその計算メカニズムが領域に依存しな いということである。前節で見てきたように、人間の基本的認知機能である、 記憶、概念、問題解決において、類似は本質的な役割を果たしていることか らすれば、それは個別領域の表象レベルの制約ではなく、アーキテクチャレ ベルの制約と考えられる(Elman, et al. 1996)。 III 発達と学習における類似の制約 類似がこのような認知的パワーを持つとすれば、それが発達や学習におい て制約として用いられないと考えることは難しい。実はそうした証拠は数多 く挙げられているのである。Iで挙げた2 つの疑問のうち、i). 中核領域では 生得的で、領域固有な制約が主要な役割を果たす、という著者らの主張を以 下で検討することにする。 まず生物学から考える。ここでは、そもそも著者らの擬人化についての研 究が類似の役割を強く示唆している。これらの研究によれば、幼児は未知の 生物の属性を推測する場合に、自発的に人間をベースにして、人間の属性を ターゲットとなる生物に写像することが示されている。また、こうした写像 は、ベースとなる人間との類似によって強く制約されていることが報告され ている。さらに、この写像は事実によるチェック、つまり過去の経験の有無に よる評価を経て、最終的な結論とされるという(稲垣, 1995)。 3 次に心理学であるが、この領域では、「他者には(独自の=私のとは異な る)心的状態が存在するか」ということが問題とされてきた。この問題は明 らかに「私の心」というベースとそこからの類推を想定しなければ、有効な 解は出てこない。つまり、「私があることを経験するとある心的状態を持つ」、 「私とあなたはいろいろな意味で似ている」、したがって「あなたは心的状態 を持つ」という推論が、他者の心についての推論に介在していることは容易 に想像できる(Holyoak & Thagard, 1995)。さらに、false-belief 課題で示さ れるような、3 歳(あるいは4 歳)児の誤りはこの類似制約が強く働き過ぎ るためとも解釈できる。 物理学についてはやや曖昧である。Spelke らによって示された制約は、あ る意味で進化論的な起源を持つと考えられる。つまり、「物体とはいかなるも のか」をもし生物(少なくとも脊椎動物以上のもの)が学習しなければなら ないとしたならば、その生物は生存することが不可能になると思われるから である。一方、より高度な物理学の理解が関係する事象については、類似の 役割を強く示唆する研究結果もある(たとえばKaiser et al., (1985))。 著者らは挙げていないが、重要な中核領域の一つである言語(語彙)獲 得においては、類似の制約は驚くほど強い。少なくとも初期には、子どもは、 形が似ている対象については覚えた言葉を積極的に拡張するが、そうでない ものに対してはほとんど拡張しようとしない(Landau et al., 1988)。 さらに注目すべきは、今井(1997) の「類似によるブートストラッピング」 説、Gentner らによる「career of similarity」説である(Gentner & Medina, 1997)。従来、(見かけの)類似への依存は未発達の証拠とされてきたが、彼 女らの研究では知覚的な低レベルの類似がその後の認知の発達にきわめて重 要な役割を果たすことが示されている。 IV 最後に 上記の主張に対して考えられる反論は、類似の曖昧さである。つまり、観 点を想定しない限り類似は無意味な仮説構成体であるというものである。こ れはさらに、生得的で、領域に固有な制約がこの観点を提供するという主張 にもつながるかもしれない。 これらの反論は、特徴のマッチを主とする古典的な類似性理論にとって致 命的である。しかしながら、近年の類似性研究はこうした反論に対処できる だけの成果を積み重ねてきている。たとえば、類似判断の際に行なわれる比 較は、最も大きく、深い構造を抽出するメカニズムを含んでいる(Markman & Gentner, 1993)。また、類似判断のメカニズムはきわめて柔軟であり、も し高次の構造や目標が利用可能であれば、それらを含めて類似を構成してい くことができる(Suzuki et al., 1992; Medin, et al., 1993)。これらが示すこ 4 とは、類似はそれ自体の中に自らを発展させるメカニズムを有しているとい うことである。 私は類似の制約がすべてという立場は(少なくとも本稿においては)とら ないが、以上のことは、発達と学習における制約として、類似という、領域 に依存しない一般的な制約を加える必要性を強く示唆している。 文献 Elman, J. L., Bates, E. A., Johnson, M. H., Karmiloff-Smith, A., Parisi, D., & Plunkett, K. (1996) Rethinking Innateness: A Connectionist Perspec- tive on Devleopment. Cambridge, MA: MIT. Gentner, D. & Medina, J. 1996 Comparison and the development of cognition. 認知科学, 5 Holyoak, K. J. & Thagard, P. 1995 Mental Leaps. Cambridge, MA: MIT. 今井むつみ1997 ことばの学習のパラドックス. 共立出版. 稲垣佳世子1995 生物概念の獲得と変化_ 幼児の「素朴生物学」をめぐっ て. 風間書房. Kaiser, M. K., Profitt, D. R., Anderson, K. 1985 Judgments of natural and anomalous trajectories in the presence and absence of motion. Journal of Experimental Psychology: Learning, Memory and Cognition, 11, 795 - 803. Landau, B. Smith, L. B., & Jones, S. S. 1988 The importance of shape in early lexical learning. Cognitive Development, 3, 299 - 321. Markman, A. B., & Gentner, D. (1993) Structural alignment during similarity comparisons. Cognitive Psychology, 25, 431 - 467. Medin, D. L., Goldstone, R. L., & Gentner, D. 1993 Respects for simi- larity. Psychological Review, 100, 254 - 278. 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